防衛大学校National Defense Academy

防大かわら版

防大かわら版vol.175

防大かわら版

掲示内容一覧

  • 防大4年間の思い出、今後の抱負
  • 定期訓練参加所感

防大4年間の思い出、今後の抱負

金森 学生

 4年前、小原台の門を叩いた時の私は、ただ目の前の激動の日々に翻弄される一人の学生に過ぎませんでした。特に厳格な規律を誇る中隊に配属された私は、「正確さと迅速さ」の真髄を叩き込まれました。当時の私は、「まず自分が完璧に動き、誰よりも強くあれば、自然と周りを支えられるはずだ」と考え、自らを律することこそが正解だと信じて疑いませんでした。しかしその自律への執着は、裏を返せば、周囲を頼ることをせず自分のことだけを考え、組織として一体となることの難しさから目を逸らしていただけだったのかもしれません。
 学年を重ね、責任ある立場を任されるにつれ、私の価値観は大きな変容を遂げました。その最たる転換点は、4学年の中期に、開校祭の女子競技である「棒引き」において総長を務めたことです。
 当初、私の頭を占めていたのは「勝利」の二文字のみでした。昨年度の優勝という重圧を背負い、連覇を果たすために全ての時間を棒引きに捧げ、総長としての圧倒的な熱量こそが組織の強さに直結すると信じ、自らを極限まで律し続けました。しかし、迎えた本番、第一大隊は初戦で敗北しました。
 呆然とする私に声をかけたのは、共に砂にまみれた仲間たちでした。「負けたけれど、このチームで戦えて本当に楽しかった。」その言葉に、私は胸を突かれました。勝利こそが全てだと思っていた私の価値観が、音を立てて崩れ、代わって「過程で築かれた絆」という、より強固な芯が据えられた瞬間でした。組織を動かすのは戦略や命令だけではない、リーダーの熱量が伝播し、共鳴した時に生まれる「目に見えない力」こそが、防大の誇るべき伝統の正体なのだと確信しました。
 振り返れば、私の歩みは多くの人々に支えられてきました。少林寺拳法部で、共に全国の舞台を目指した2学年上の上級生との日々は、今も鮮明に記憶に刻まれています。講義の合間、部活の練習後、そして自習時間の合間の10分間の「中休み」、私たちは、一分一秒を惜しむように畳に上がり、演武を練り上げました。結局、決勝の舞台には届きませんでしたが、共に笑い、共に泣き、文字通り心身を削り合って過ごした時間は、私の揺るぎない血肉となっています。
 また、学生舎の喧騒を離れた場所にも、大切な絆がありました。温かく見守ってくださった訓練部の方々、被服修理の方々、そしていつも笑顔で迎えてくれた丼丸の大将、小原台という特殊な環境で、多くの人の親切がどれほど心の拠り所となっていたか、こうした方々の支えがあって初めて、我々は国防の責務に邁進できることを忘れてはならないと感じています。
 間もなく、我々は小原台を去り、国防の第一線へと身を投じます。私が目指すのは、常に学ぶ姿勢を忘れず、未知の困難に対して挑戦する勇気を持ち続ける指揮官です。防大でお世話になった方々のような、頼もしく、強い人間になれるよう、今度は私が部下に対してその背中を見せていかなければならないと思います。
 4年間で得た最大の教訓は、結果への執着を超えた先にある「情熱の共有」です。この小原台で培った不屈の精神と、多くの人々に生かされているという感謝の念を胸に、私は新たな任務へと赴きます。
 最後に、共に切磋琢磨した同期、そして後に続く後輩たちの健闘を心から願い、私の結びの言葉とします。

藤本 学生

 今から4年前の2022年の着校日、志を同じくした同期の誰よりも早く、白い息を吐きながら校門をくくり抜けたあの薄暗い空に、見慣れない景色を今でも忘れません。私は俗に官品と言う親が自衛官であり、防衛大学校についての話を事前に聞いていたため、防衛大学校とはどんな鬼の住む場所なのか恐怖に慄いていました。だからこそ、防衛大学校の上級生とは何たるかを教えてくださった私の上対番の学生は当時の私の大きな目標でした。
 私たち70期は、まさに狭間の世代であり、防衛大学校の大きな変革の波を乗り越えることが、この4年間の最大の課題でした。我々70期は、恐れながらも憧れた上級生のあり方の多くは否定され、歴代に類を見ないほどに防衛大学校の規律は一般社会に合わせて変えられていきました。我々は1学年時に得た経験との大きなギャップに大変苦労しました。目標であった上級生とは全く異なる方法での下級生に対する教育や上級生としての背中を見せる方法を思案することは、間違いなく高校までの学生生活とは一線を画す経験であり、今までの人生の中でも初めてのことでした。我々がその中で最終的に辿り着いたのは、心服指導であり、経験あるものとして、経験が無いものに寄り添い、共に成長していくことが、新たなる社会人教育としてのあり方の一つであると学びました。この方法ならば、指導者、被指導者共に無駄な時間を削減することができると気づかされました。
 私は、防衛大学校の4年間の中で得た指導に対する姿勢は、間違いなくこれからの幹部としてのあり方に多大なるポジティブな影響を与えてくれることを予感しています。この4年間はこれからまだまだ続いていく、私の人生においても何物にも代えがたい経験と思い出となるでしょう。別れがたい同期は来年度、各々の進むべき場所へ羽ばたいていきます。私はそんな誇るべき同期と共に、ただ直向きに、国のために、未来のために尽力する所存であります。

森谷 学生

 入校した当時、自身が4学年の赤い名札をつけることなど想像もできませんでした。いつしかその名札の色は緑になり、黄色になり、いつの間にか赤色になっていました。それだけ一瞬で時が流れたように思います。
 防大での出会いすべてに感謝しています。私という人間を大きく成長させてくれたのは、周りにいた同期や上下級生、指導教官の存在があったからだと思います。一人だったら諦めていたことや妥協していたことも、同期というライバルがいれば「まだやるか」と思えました。逆にコイツだけには「負けられねぇ」と思うと自然に力が湧いてきました。苦楽を共にした同期は本当に一生ものだと思います。また、上下級生も私という人間を成長させてくれました。こんな人になりたいと思う憧れの上級生にも出会えましたし、その逆もありました。下級生も私にはない視点で物事を考えており、共に成長するためにどうするべきか考えるキッカケを与えてくれました。指導教官の方々は、幹部自衛官を目指す者としての理想像を探求するために大事な視座をくださり、自己の確立に繋がりました。これらのすべての出会いと経験は私の宝である確信しています。
 最も思い出深いことはラグビー部で政権として活動した1年間です。4学年としてチームを牽引する年に、中心となる選手の離脱や自分たちが主導した運営の数多くの失敗、4学年の中での方向性の違いなど様々な障壁がありました。その中で、4月に行われた国際士官候補生ラグビー競技会では1位を取ることができず、その後もチームとして苦しい時期が続いていました。何度も投げ出したいと思いましたが、果たすべき責任を全うすることだけに集中した結果、シーズンも後半になるにつれて少しずつチームとしての一体感が生まれました。最終戦では、ライバル校相手に接戦を強いられましたが、今までやってきた全てのことをぶつけて勝利をもぎ取りました。責任から逃れず、最後までやりきった経験は私にとっての大きな自信となりました。
 防大4年間の生活を通して、私が任官した際に掲げるモットーは、「必死」と「謙虚」です。ただひたむきに全力で物事に取り組む姿勢と分からないことはどんな人からでも吸収し、成長しようとする姿勢を忘れず、これからの自衛官人生を歩んで行きたいと思います。

山子 学生

 今思えば、防大の入校理由なんてはっきりとしていなかったとは思います。なんとなく、親が自衛官で、兄もこの学校を受験していて、もし自分が防大に入学したら親の知り合いにもすごい!かっこいい!と喜んでもらえるからだったのかも知れません。でも、その頃から「人の役に立ちたい!」「自分の家族、友人のために体を張りたい!」という正義感に近いものはありました。そういう面では自衛官適性はあったのかもしれません。しかし、防大入校後、そんな思いは甘いものであったと痛感しました。高校まで親に甘えて生活してきた私は、自信がない、言われないと行動できない等、他の同期との差は開いていくばかりでした。親に相談することもあり、自衛隊という組織でやっていけるのか不安でいっぱいだったのを覚えています。しかし、4学年になり卒業を前にして今振り返ってみると、私は、はじめの一歩が踏み出せていなかっただけだなとつくづく実感します。みんな何事も初めては怖いものです。そこで失敗を恐れずチャレンジすることが、自信をつける第一歩だと思います。そして何より、今と入校時で変わらず大事なものは同期の存在です。不安なことがあっても、頼れる同期がいる、これほどの安心材料はありません。苦楽を共にした同期の存在は、私の一生の宝です。
 気づけばもう卒業、新天地での生活が始まります。前項でさんざん自分のことを振り返ったことを踏まえ、今後の抱負として私は「チャレンジ」を心がけていきます。どうしても不安は拭えませんが、いつどこでも、日々考えて、行動し、成長あるのみです。

定期訓練参加所感

久保田(強) 学生

 冬季定期訓練は私にとって現地研修を行う意義と自分自身の成長を実感する場となりました。
 硫黄島研修では事前教育を通して、過去に硫黄島でどのような戦いが行われたか、当時の指揮官の人物像やどのように部隊を率いていたかを学んだ上で硫黄島に赴き、壕の研修や戦没者慰霊碑への献水を行いました。実際に現場を見ると、壕の入り口はアメリカ軍が上陸した浜辺から発見されないように、通路も砲爆撃を避けるために地表面から数メートル下る形で掘られており、随所に長期戦に備えた工夫が凝らされていることが確認できました。また壕の入り口付近には砲撃の跡が残っており、地面には今もなお小銃の弾頭らしきものが落ちていました。
 今回現地を訪れ、1月であっても歩けば汗ばむような気候の中、戦略的に重要であったこの島を1日でも長く守り抜くために壕を掘った方々の苦労や、当時の戦争の苛烈さを実際にその場に立ち肌で感じることで当時の様子をより具体的に想像することが出来ました。特に栗林中将を始めとする日本の将兵がこの地で国や家族を守るために命を賭して戦い、そして散っていった現実がより強く心に迫った現地研修でした。
 次に校内訓練では、GICSS(戦闘射撃訓練シミュレーター)を用いた射撃訓練に参加しました。私自身、これまでの射撃訓練では射撃リズムや姿勢のずれが課題として挙がっていました。しかし訓練で学んだことを意識しながら臨んだ結果、点数は昨年よりも向上し、安定して高得点を取ることが出来ました。弾着点のばらつきなど課題はまだあるものの、これまでの訓練が自分の身になっている事を実感することが出来ました。
 残り少ない防大生活もこれまで学んだことを着実に修得するために錬成し、より良い陸上幹部自衛官となるための修錬に励んでいきます。

浅山 学生

 今回の海上要員冬季定期訓練では、硫黄島研修の他に海上自衛隊第2術科学校研修、地文航法等の座学、そして来年度の新1年生教育に向けた教育法の訓練を受けました。
 硫黄島研修に先立ち、現地での研修でより多くの学びを得るために校内で事前教育及び研究を行いました。事前教育では硫黄島守備隊に当たった小笠原兵団長、栗林中将の統率や当時の革新的な島嶼防衛の戦術を学ぶとともに、事前研究では栗林中将と共に戦い「ルーズベルトニ与フル書」を書いた市丸利之助少将の人物像を同期と共に調べ発表しました。正直なところ、硫黄島研修に行くまでは、これらの事前教育及び研究が現実味のない話のように感じられました。
 しかし、厚木基地から約1000km南に位置する硫黄島現地に足を踏み入れたとき、季節は真冬にもかかわらず額にじんわりと汗が浮かぶ暑さと80年前にこの地で激戦が行われていたと実感できる闘いの痕跡に圧倒されました。当時使われていた壕の中に入った体験は、防衛大学校で今まで行ってきた研修の中で最も印象に残りました。壕の中は地熱により50度以上まで熱せられ、硫化水素のにおいが立ち込めており、非常に過酷な環境であることが認識でき、壕の出入り口には砲撃の跡が今でも残っていました。このような過酷な環境の中、日本を守るべく本土に愛する家族を残して戦い抜き、散っていった先人の方々に対し深い畏敬の念を感じ、これからの日本を守る責任に背筋が伸びるような思いでした。今回の研修に尽力をいただき、このような貴重な経験をさせて頂いたことに深く感謝申し上げます。
 現在、日本の安全保障環境は一層厳しいものとなり先人が守り受け継いできた日本をどのように受け継ぎ守り抜くのか、改めて考えるきっかけとなりました。与えて頂いている環境に感謝しながら同期と共に相互研鑽に励み理想的な幹部自衛官を目指す所存です。

久保田(諒) 学生

 私は、第3学年冬季定期訓練において、硫黄島研修、幹部候補生学校研修及び校内における航空機運用実習を行いました。1週間という短い期間でしたが多くの学びを得ることができました。
 訓練のなかで最も印象に残っているのは硫黄島研修です。滞在時間はわずか4時間ほどでしたが、戦争の過酷さや悲惨さを肌で感じるには十分な時間でした。事前に校内で地理的特性や歴史的背景を学習し、硫黄島の重要性について理解を深めていましたが、実際に現地に立つと資料や数字からは想像できないほど厳しい環境であることを痛感しました。
 戦闘で使用された「天山壕」に入らせて頂いた際は、その暗さと狭さ、そして何よりも高温に驚かされました。こんな場所で1ヶ月以上も生活しながら戦闘を行っていたことを思うと言葉を失いました。さらに硫黄島は火山島のため川がなく、飲み水の確保すら困難な環境であり、40度を超える壕内で水も食料も十分でない中、日本本土にいる家族や友人のために戦い抜いたのです。私はそのような兵士たちの姿に深い敬意を抱きました。
 硫黄島の最高指揮官であった栗林中将は、島をできる限り長く防衛することを目的としていました。アメリカ軍が当初5日で制圧できると予想していたところを、実際には36日間も守り抜いたのです。その背景には、「どんなに絶望的な状況でも、無意味な自決や突撃を禁じ、できるだけ長く戦闘を継続するように」という栗林中将の方針がありました。私はこの方針に深い感銘を受けました。名誉のために死ぬのではなく、意味ある死を選ぶという考えは、当時の価値観からすれば受け入れがたいものであったはずです。それでもなお、彼は兵士たちにそれを徹底させ、硫黄島を守り抜き、日本本土への侵攻を遅らせ、多くの命を守ったのだと感じました。
 今回の研修を通して、将来この国を守る幹部自衛官を志す者として、深く考えさせられることが多くありました。自分はまだ考えも浅く、経験も乏しく、何より覚悟が足りないと痛感しました。硫黄島で戦った将兵の中には、私と同じくらいの年齢の人も多くいました。そのことを思うと、「いつか」ではなく「今すぐ」に成長しなければならないと強く感じました。これからも日々の修練に励み、自らを鍛えていきたいと思います。